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2010年07月 アーカイブ

政治学 3

G.Almondはまた、「国家一非国家」という分類を排除しています。

この二元対置は人類学、社会学、政治学の伝統的な分類図式でありますが、理論的にも操作的にも重要な問題を惹き起こすと言うのです。

「国家一非国家」という二元的分類は、政治的なるものthepolitica1を、特殊化された、目に見える構造の存在と同一視する伝統的政治学のアプローチから由来するものであって、特殊化された構造によって演じられる機能のみに政治過程を限定してしまう傾向に陥ってしまいます。

そうなった場合、国家と呼ぶには分化された、可視的構造をあまりにも欠如している非西洋社会や原始社会の政治を研究の視野から放逐してしまわなければならないでしょう。

たとえ間訣的であっても、また、どんなに突発的一時的なものであっても、そのような社会にも一定の政治的機能を演じる構造があるに違いありません。

国家一非国家の二元的分類に依拠する限り、この不毛性を克服することは出来ないのです。


「もし機能が存在すれば、構造があるに違いない。

たとえ、他の社会システムの隠れた場所やすき問の間にはまり込み、容易に発見できないとしても」(G.Almondand)


特殊化の進んだ西洋のシステムに見出されるすべての構造が非西洋のシステムにも存在するはずだとすれば、一体その構造をどこに位置付ければよいのでしょうか。

それぞれの構造の適正な機能を明確にするほかにないでしょう。

構造を記述するだけでは、限られた有用性しか獲得できません。

特殊化された構造の記述に機能的問題を加えて始めて生ける有機体としての政治構造が明確になり、政治のダイナミックな過程に関する正確な記述が可能になるのです。

政治学 4

いわゆる古典的な三権分立論が、立法⇒法の制定⇒議会、行政⇒法の実施⇒行政部、司法⇒法の判定⇒裁判所

といった単純な構造に立脚する限り、現実政治を分析する上でいかに説得力を持たないかが検討される必要があります。

先ず第1に、議会行政部などの分化された構造だけが、法の制定、法の実施といった機能を演じているのではなく、政党、圧力団体、マス・メディア、官僚機構などの多様な構造も複雑に関与していることが注意されねばなりません。

第2に、西洋の政治システム程には特殊化されていない構造が例えば部族長の発言がそのまま法の制定・実施・判定となる原住民社会を想起せよ西洋のシステムと同一の機能を演じていることに注意する必要があります。

ある社会では議会が法を制定し、ある社会では部族長が法を制定しています。

立法⇒法の制定⇒議会、といった単純な構造に固執することは、分化度の低い構造を備えた政治システムを研究視野から排除し、西洋の政治システムにのみ限定した理論を展開し、ひいては西洋社会の価値を絶対化することにつながっていく危険性を持っているのです。

そこで、特殊化された構造を記述するという作業と共に、一定の機能がAというシステムではどの構造群によって、Bというシステムではどの構造群によって演じられているか、を明確に捉えていく作業が並行して行なわれなければならないということになります。

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